神のお望みに従って・・・ 

                  「愛と光の家」の紹介

村上 悦子

茨木市北部の山間部千提寺のキリシタンの里に、「愛と光の家]が誕生して、この8月で31年になります。その間、茨木教会の方々をお迎えする機会もたびたびありましたが、考えてみれば、「愛と光の家」について詳しくお話したことはないような気がいたします。お越しくださった際に何かを感じ取ってくださったとは思いますが....  

この度、急に、何か原稿をと依頼されたとき、何のアイディアもないのでお断りしました。そのとき「愛と光の家」についてでもと言われ、どうしたものかと考えながら帰宅し、何かアイディアをと思い、しばらく見ていなかったインターネットを開いてみました。すると“ZENIT ”という世界のカトリック関係のニュースを発信するサイトに“愛と光の家最初の黙想会の75周年を祝う”という記事が載っているではありませんか。実は今年は世界で最初の「愛と光の家」が創立されて75年という記念すべき年なのです。この記念すべき年に、日本の「愛と光の家」のある小教区茨木教会のために、やはり何かを書くべきだと思い立ちました。

「愛と光の家」はフランスの南東の小さな村に1936年に誕生しました。その数年前から、主はその農村に住む一人の病身で、自分ではほとんど何もできない若い女性マルタ・ロバンに、ご自分の望みを徐々に打ち明けておられました。そして1936210日、ルルドの聖母ご出現の祝日の前日に、彼女が受けた主のお望みを実現することになっている司祭を、主は彼女のところに遣わされました。こうして神様のお望みの実現を見ることになったのです。

 神様のお望みとは何でしょうか。マルタは、『新しい愛の聖霊降臨が起こり、信徒の使徒職を通して教会は若返るのです』『信徒は教会の中で、非常に大切な役割をもつようになるでしょう。たくさんの人が使徒として召し出されるでしょう』と言っています。そのような信徒を養成する場の一つが「愛と光の家」で、特に黙想会を企画し、行うという形で、その養成の一端を担っています。その奉仕を行うのが、初代キリスト教徒に倣って、霊的、知的、物的賜物を共有し、母としての聖母とともに、霊父である一人の司祭の指導のもとに、自分を奉献した信徒から成る「愛と光の家」共同体です。“新しい共同体”とカトリック世界で呼ばれているものの一つで、教皇庁の信徒評議会で認可されているものです。

 ところで、前述の最初の黙想会が行われたのが、193697日(聖母マリアの誕生の祝日の前晩)〜13日で、今年の9月その75周年を発祥の地で盛大に祝います。この最初の黙想会は、設備の乏しい会場で33名の女性を迎えて行われました。神様はその33名の中から、2名を召し出され、「愛と光の家」の最初のメンバーとされたのです。そのとき初めて「愛と光の家」の共同体が誕生したのです。ここに75年を祝うもう一つの理由があるのです。このときの流れの中で、「愛と光の家」の共同体は、世界の4大陸において、75に増えました。

 ではその黙想会はどのようなものでしょうか。まず「愛と光の家」という霊的な家庭の中で行われます。黙想者を迎えることは、神の国の民をミニミニにした集いと言えるでしょう。国籍、人種、身分、宗教を問わず、マリア様が呼んでくださった人が集います。日本の私たちの家は小さいので、10数人しかお迎えできませんが、大きな家では100名以上を迎えます。

 「愛と光の家」に神様が望まれた第一の使命は、6日間の黙想会を行うことで、とくに“根本的な信仰養成の黙想会”と呼ばれるものでは、私たちの信仰の内容を体系的に理解することができ、一本筋の通った信仰者としての生活を送る指針になります。神のみことばに基づいた指導司祭(通常はその「愛と光の家」の司祭)の講話を通してそのことを学び、私たちがどれほど、神に個人的に愛されているかということを、顕示されたご聖体の前で味わいます。神との親しい交わりを体験することで、その愛を他の人々にも分かち合いたいとの望みに駆り立てられます。それこそ、私たちの生活の場で福音宣教に召された者の、原動力になるものではないでしょうか。そこには、体験した者でなければ、味わえない喜びがあります。その喜びと平和に満ちた顔に接するだけでも、周りの人は何かを感じるでしょう。“来て味わってください。”というしかありません。この黙想会は、神様のみ声をよりよく聞くために、沈黙の落ち着いた雰囲気の中で行われます。不思議に参加者はその沈黙のうちに親しくなり、兄弟的な愛を感じます。実際の生活においてお互いに助け合う友情も育つことでしょう。             

ところで、日本には、この茨木の地に、小さな「愛と光の家」が一つあるだけです。日本の信者の数に比例しているのかもしれません。この家の創設者ケヌエル神父が健在なころにも、6日間の黙想会は年に56回しか行うことができませんでした。ヨーロッパのようにヴァカンスがないからです。それで、日本の社会情勢に合わせた、週末の1泊黙想や連休を利用した23泊の黙想会をたくさん行いました。しかし20033月のケヌエル神父の突然の帰天後は、黙想会の企画に苦慮しています。幸い、聖パウロ修道会の赤波江神父様やレデンプトール会の神父様方の献身的なご協力により、短い黙想会を行うことができ、好評をいただいております。また予期せぬ方法で、年間2,3の6日間の黙想会を行っております。この種の黙想指導に経験豊かなフランス人の神父様が応援に来てくださるからです。この原稿をしたためている間にも、一人の神父様が来てくださり、8()から始まる6日間の黙想会に備えてくださっています。このような黙想会にも茨木教会の方がご参加くださるととてもうれしいです。

 実は、私たちもここに創設された年の97日にこの家での初めての6日間の黙想会を行ったのです。ですから9月には31年目の記念すべき日を迎えるのです。822日のこの「家」の竣工祝別式とあわせて、この記念すべき時期に、ケヌエル神父の後任の神父様が早く与えられて、もっともっと教会のために奉仕できるように茨木教会のみなさまにもぜひお祈りしていただきたいと存じます。

(もっと詳しいことがお知りになりたければ,

『マルタ・ロバン 十字架とよろこび』 発行 愛と光の家)をお読みください)

 



































信頼できる母性的な無償の愛に満ちた同伴者

高槻・茨木教会共同宣教司牧チーム

アデリノ・アシェンソ神父

アメリカ神学者Sallie McFagueは、神と人間の関係に注意を向けることは神について述べることよりも重要であると言っています。彼女は、我々の神との関係を示すものとして友情のモデルとその我々と他者との関係に持つ意味に言及し、さらに、イエスの苦しみと死を、「最も深いレベルでの神の我々への友情を示すもの」と見ています。

この神が人間のうちにいて人間が神のうちにいて一つになる(『ヨハネによる福音書』1721節参照)というモデルは、主として友としての神の権威はどうなるのか、その神を水平的なレベルで崇拝するのはどうかという難しい問題を引き起こします。McFagueは、こうした難しい問題があるにもかかわらず、この友としての神のモデルは、我々を助け我々の失敗を赦す神によってなされる愛のための犠牲の展望をもたらすと考えています。もちろん、著者が述べているように、このモデルは他のさまざまなモデルによってバランスを取らなければなりません。なぜなら、それぞれのモデルは神の全体像の一部分をとらえているにすぎないからです。しかし、この、人間と共に歩む友としての神のモデルは、東洋の人間と自然のうちに神が存在しているという考え方と一致しているのではないか。また、遠藤周作がとらえたイエスの同伴者としての特徴にも非常によく似ています。

誘惑に負けた者や罪を背負っていかなければならない者にとってのイエス・キリストの役割に関する問題に対して、遠藤周作は、小説『沈黙』で一つの答えを出しています。そこでは、母性的な憐れみを持ったキリストが描かれており、そのキリストは、苦しむ男や女に黙って付き添い、罪の意識と共に生きる者の弱さを赦してくれます。それは、暖かい心の母性的な神です。「無力」・「永遠の同伴者」・「母性的」という三つの特徴を持つ新しいイエス・キリスト像は日本の文化的・精神的世界に適合したイメージであると遠藤周作は言っています。

聖母の被昇天。「旅する神の民にとって確実な希望と慰めのしるしとして輝いている。」(『教会憲章』68)イエスの母の仲介者としての役割は強い。マリアは女神ではありませんが、世俗化した現代社会のなかの私たちが必要とするものは、私たちを赦し私たちの傷を癒してくれる、決して私たちを棄てない憐れみであり、信頼できる母性的な無償の愛に満ちた同伴者ではないかと思います。

    

「右近さん、どうして信仰を捨てなかったのですか?」

 

                         茨木高槻司牧チーム Sr.狩野敦子

 

これは子供たちから出た質問でした。サマーキャンプで高山右近の生誕の地を訪れ、右近の人となりに半日付き合った後、子供たち数名から出た単純な右近へのことばかけです。これに大人の私たちはどのように答えましょうか?

「信仰を最後まで守り通したから。」

「キリストに最後の最後まで従いたかったから。」

色々出てきます。一人ひとりがその答えを持っているでしょう。

右近は一国の大名であった人。また千利休の7哲人の一人に数えられ、茶の湯を通してその人格形成は深みを増していったのでしょう。その方が国外追放を言い渡され、日本を船上から眺めた時は、その瞳には何が映ったでしょうか。

話はちょっと変わりますが、7月の典礼では週日も主日もマタイ福音書の「天の国」が主題となっていました。み言葉の持つ力強さ、神様の寛大さ、広さ、愛、情け深さなど黙想において多くのお恵みをいただきました。そして最後に「天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」(マタイ14章45〜46節)と、ありました。私たち皆は、子供の時から、あるいは大人になって自分で決断して信仰の道に入りました。その道程には、真珠を見つけた体験を持っているでしょう。

先日福島では一人の酪農家が自らの命を絶たれました。その背景には個人の力ではどうしようもない大きな問題が、山崩れのように襲い掛かかっていたことが判明しました。それでも家族がいたら、どうにかまだ耐えられていたかもしれないというのは、あくまでも仮説ですが、心が痛みます。8月15日を迎えて、私たちは平和の意味、家族の存在の意義を今一度問い直しましょう。真珠を見つけた商人のように、故国を去っても信仰に生きた右近さんのように、何にも代え難いものをしっかりと抱きしめ、この現実の中に神が働いておられることを見出していきたいものです。            

                                    

からしだね

2011年   聖母被昇天  第65号  カトリック茨木教会発行誌

 

           聖母マリアへの祈り        三輪周平

 

皆様ご存知のように、614日に日本カトリック司教協議会から新しい「アヴェ・マリアの祈り」が承認され公に発表されました。「アヴェ・マリア」という呼びかけで始まる祈りで、「何だか違和感を感じる」と言われる人もいらっしゃるかもしれません。しかし、今回「アヴェ・マリア」のラテン語原文にできるだけ忠実に翻訳したそうです。ですから“Ave Maria,Gratia plena”…と歌うようになじみやすくなるのではないでしょうか。第二バチカン公会議の教会憲章の中に「マリアはキリストを宿し、産み、育て、神殿で父にささげ、十字架上で死ぬ子と共に苦しむことによって、従順、信仰、希望、燃える愛をもって、人々の超自然的な生命を回復するために、救い主の業に全く独自な方法で協力した。マリアは天に上げられた後もこの救いをもたらす務めを放棄せず、かえって数々の取次によって、私たちに永遠の救いの賜物を得させている。マリアはその母性愛から、自分の子の兄弟のうちでまだ旅を続け、危険や困難の中にある兄弟たちが幸福な祖国に到達するまで、配慮し続けるのである。」(毎日の読書より)とあります。私たちは希望をもって聖母マリアに対して、霊的な母として祈り、たくさんのことを取り次いでもよいのではないでしょうか。聖母の被昇天を祝うに当たって、新しい「アヴェ・マリアの祈り」を通して、聖母マリアに対する信仰を新たにしたいと思います。またロザリオの祈りだけでなく、聖堂での(聖像や聖画を通して)聖母訪問で恵みを願うことは聖人たちが勧めていることです。「アヴェ・マリアの祈り」の一節一節を祈りのうちに味わうことをお勧めします。週報で解説しています。