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信仰共同体の仲間として

礼拝会 大阪修道院

Sr. 澤 信子

 このたび、12年ぶりに茨木カトリック教会へもどってまいりました。

茨木の街並みが、きれいになっているのに驚きました。

 茨木教会の信仰共同体も世代交代によって、信徒一人ひとりが養成され、培われてきた時代の

流れを感じます。わたしも以前から信徒の時代がくることを望んでいました。教会の主任司祭の

常駐はなくなり、刷新され、 共同宣教司牧チームの司祭、修道者と信徒が一丸となって、神のみ

こころにかなった信仰共同体をきずいていく姿勢にうれしく思います。 あらためて洗礼によって

いただいた信仰の賜物に感謝し、まわりの人々にキリストの愛を、奉仕の姿勢を、思いやりとほ

ほえみを与えていけたら いいと思います。自分のもっているもの能力、時間、エネルギー等を他

人のためにつかうことによって、もっと多くのものをいただき、こころは 豊かに満たされるので

す。

これからも、キリストと共に活き活きとした信仰共同体をめざして いけるよう、仲間の一人とし

て微力ながら協力していきたと思います。 どうぞよろしくお願いいたしします

  

 


信仰を仲介する言語である文芸

高槻・茨木・千里ニュータウン教会共同宣教司牧チーム

アデリノ・アシェンソ神父

我々は信仰と神についていかに語るべきであろうか?この疑問には確定的な答えはありません。何故なら、神は人生で我々を支えている関係であり、人生における見えない働きであるわけです。神は、我々が完全に知ったり描いたりできない重要な現実であり、我々の意味を明らかにする能力ではとらえられない現実です。そうでなければ、神は我々の思考能力より小さく、我々の頭の中に入ってしまうからです。しかし、同時に、我々は、神を受け入れる余地を持っており大きく異なっている神に遭遇することができるとトマス・アクィナス(1225-1274は言っています。従って、この人生の途上のなかで、信仰と論理の永続的な闘いがあり、その闘いはそれぞれの中でおこなわれ、互いに刺激し対立し挑みあっています。この刺激的な緊張した対話は、新しい言語を必要とします。超越者を指し示し論理を超えたものを指し示す言語です。この仲介をする言語が文芸です。

想像力は、人間の心にある言葉です。この種の言葉には、詩、演劇、小説があり、それらは、疑いも無く人々の間のコミュニケーションの特権的なかたちです。現実なしには想像は存在しません。現実は、すべての想像上の展開を潜在的に含んだ種であり、そのことから、想像力は現実を経験する一つの方法であるという結論をみちびくことができます。想像力は思考以前の領域で働きます。だからこそ、詩人、芸術家、小説家は、彼らがあらわそうと意図した以上のことを言えるのです。彼らは、超越的な経験の要素をとりいれます。思考は後から来ます。何故なら、教えは共有され語られた経験なしには存在せず、教義は神秘的な伝記なしには存在しないからです。

聖書の言葉を考えましょう。人間の読む能力は、信仰の過程のように、聴き、参加し、内部の者になるという能力を伴っています。宗教的精神をもって読むということは受身のものではありません。それは心を問題とし、読者の心の内部の旅路を導き、感情移入による意識を形成します。読者が作品を左右することはできません。読者は作品の中で動き、作品の中に自分自身を読み取り、作者とともにまた作者にあるものを見て感じます。何故なら、文学者は、芸術家と同じように、意識して表して以上のことを言っているからです。ある作品を理解すると言うことは、我々自身と世界における我々の在り方を理解することです。

「信仰年」を迎える私たちは、聖母マリアについての文学作品、絵画や彫像に励まされて、信仰を深めていきましょう。

  

夏 の 空 に

司牧チーム シスター深瀬聖子

 聖母の被昇天祭は、私の中では夏の青い空を眺めつつ祝うというイメージが あります。
 聖母マリアの人生に注意してみると、その無原罪のおん宿りから、聖母被昇天に至るまで、神の御計画通りに進んでいます。私たちを罪から救うために、父である神は主イエスを送ってくださいました。しかも『受肉』という手段を使ってです。  ですから私たちと同じ立場に身を置くようになさったのです。神が私のように 息をし、食事をとり、語り、働き、休むという生活を選ばれたのです。これだけでもいかに神がご自分に似せて創った『人』を大切にしてくださっているのかが わかります。

 聖母マリアを母として選び、準備し、最後には主イエスがあげられたように、 聖母マリアも神の栄光のうちにあげられたのです。父である神が私たちのために 聖母マリアを与えてくださったことを感謝せずにはいられません。

 小さいころは憧れのマリア様。少し大きくなって「私もマリア様のようになり たい!」と、ひそかに思っていました。けれどもある日、神父様から「マリア様はもともと私たちとは違うんだよ。マリア様になることはできないなあ。それより、マリア様をしっかり見てごらん。神様に対して自分がどうあるべきかを知ることができるよ。」と言われ、当時の私はその意味が理解できず、少し反抗気味になり、 あまり深く聖母マリアを見ようとはしませんでした。

 時がたち、多くの人と出会ったり別れたり、喜んだり悩んだりしているうちに、み言葉を通して主イエスを知り、そこに生きるための大切なヒントがあることに 気付くようになると、自然に聖母マリアの生き方や態度にも注意するようになり ました。

 「私もマリア様のようになりたい!」では見ることのできない聖母マリアの 思い・・

 聖母マリアの中に、聖母マリアを通して、主イエスを見ることで、神様の なさり方を知ることができるのです。

 8月15日の夏の空を眺めつつ、神の栄光のうちにあげられた聖母マリアの ように、天の国目指して生きて行きたいと思います。

 共同司牧に携わって4か月がたちました。毎週日曜日のミサの前に唱えられて いるロザリオの祈り・・・それぞれの玄義を黙想しつつ心を整え、主のみ言葉と 主の体をいただくミサに入っていく。とても良い、そして大切な習慣だと思います。

 どんな時もともにいて祈り励ましてくださる聖母マリアに感謝して、今年も 8月15日の夏の空を見上げます。

からしだね

2012年  聖母被昇天   第68号  カトリック茨木教会発行誌

 

聖母マリアの信仰

ダニエル・クエンジ・カンバタ神父

聖母マリアは何を信じていたでしょうか、聖母マリアにとって神という存在は?
マリアの賛歌で聖母マリアの信仰を探ってみましょう。
今日に至るまで、マリアの賛歌はマグニフィカートと呼ばれ、バッハをはじめとして、多くの作曲家によって作曲され、多くの人達に愛唱されて来ました。素晴らしいことばには素晴らしい旋律をつけたいと思うものです。このマリアの賛歌にも多くの曲が生み出されるのに相応しい、言葉の表現がにじんでいるのです。
この「マグニフィカート」という言葉は46節の「あがめる」と言う言葉から出ています。
1:46マリアは言った。「わがたましいは主をあがめ、」とありますが、「崇める」とか「賛美する」とか言う意味のことばに英語でも「マグニファイ」と言う言葉があります。

この歌は46〜48節前半、48節後半〜50節、51節だけ、52・53節で一つ、54・55節で一つと言うふうに、文章が構成されています。はじめに1:46〜1:48を読んでみましょう 。

聖母マリアにとって神は:

  1.神への信頼
1:46 そこで、マリアは言った。
1:47
わたしの魂は主をあがめ、    
  わたしの霊は救い主である神喜びたたえます
1:48
身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。
   今から後、いつの世の人も/わたしを幸いな者と言うでしょう

神は偉大
1:49 力ある方、/わたしに偉大なことをなさいましたからその御名は尊く
1:50 その憐れみは代々に限りなく、/主を畏れる者に及びます。

3.    神は貧しい人々の友であり、見方である。
1:51
主はその腕で力を振るい、/思い上がる者を打ち散らし
1:52
権力ある者をその座から引き降ろし、/身分の低い者を高く上げ、
1:53
飢えた人を良い物で満たし、/富める者を空腹のまま追い返されます。

神は憐れみ深い
1:54
その僕イスラエルを受け入れて、/憐れみをお忘れになりません、

    神は約束を守ってくださる
1:55 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、/アブラハムとその子孫に対してとこし
  えに。」

マリア様について皆さんはどれほどご存知でしょうか?次のクイズに答えながら確認してみましょう!

1.母マリアの故郷は?
   A. ナザレ        B. ベツレヘム

2.イエス様が亡くなられて、母マリアを自分の家に受け入れた弟子は?
   A. ヨハネ        B. ペトロ

3.12才でイエス様は迷子になりました、母マリアと父ヨセフが探し回った、見つかった場所は  ?  
   A. 神殿            B. ゲームセンター

4.母マリアにお告げがあったのは、エリザベツが身ごもってから、何ヶ月目だったでしょう。
   A. 6ヶ月    B. 3ヶ月

5.マリアのところに遣わされた天使は?
   A. ガブリエル  B. ラファエル

6.身ごもったマリアが、ザカリアの妻エリザベツのところに挨拶に行って、どれぐらい留まった  でしょう
   A. 3ヶ月ほど    B. 6ヶ月ほど

7.マリアはどこで幼子を産んだでしょう
   A. ベツレヘム             B.ナザレ

8.幼子と母マリアに、博士たちはひれ伏して 宝箱から何を捧げましたか。
   A. 黄金・乳香・沒薬 B. 黄金・ミルク・沒薬  

9.「ヘロデが幼子を殺すために探すだろう」と天使から告げられ、ヨセフとマリアはどこの国へ  逃げました?
   A. エジプト                 B. イスラエル

10.ヘロデが死ぬと、ヨセフと母マリアと幼子はどこに住んだでしょう
   A. ナザレ      B. カナ

11.ヨセフとマリアは、毎年過ぎ越しの祭りにイエスをつれてエルサレムに上がっていた。イエ  スがいなくなったと思ったら、神殿にて学者たちと問答をしていたというのは、イエスが何歳  の時のことでしょう。
   A. 12                      B. 15

12.イエスが 水かめの水をぶどう酒にかえたのは、どこでの婚礼でしょうか
   A. カナ                        B. ナザレ

13.イエスが群衆にお話しをされているとき、ある人が「母上と兄弟がお会いしたいと外で待っ  ています」と言いました。そこでイエスは「天におられるわたしの父の○○○を行う人こそが  、わたしの、兄弟、姉妹、母である」と言われました。○○○とは?
   A. みむね                    B. こころ

14.母マリアの夫は誰でしたか
   A.ヨセフ      B. ダビデ

15.イエス様はカルワリオの丘で十字架にかけられました。十字架のそばに最後に残っていたの  は誰?
   A. マリア様、マリア様の姉妹、クロパの妻マリア、ヨハネ、マグダラのマリア
   B. マリア様、マリア様の姉妹、クロパの妻マリア、ペトロ、マグダラのマリア