インマヌエル 神われらと共に (マタイ1章3節)                              

司牧チーム Sr橋本 とも子

「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失と見ています。キリストゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたとみなしています」 (フィリピの信徒への手紙38節)

イエス・キリストに「出会った」パウロは、ためらうことなく宣言しています。キリストに確かな希望を告白するパウロになったのは、ダマスコ途上でのナザレのイエスとの出会いからはじまり、キリストに賭けたパウロの生活の歩みが、パウロを偉大な宣教師にしたのだと思います。

洗礼の恵みをいただきキリストと結ばれ、キリストと共に歩む私たちも、具体的な現実の生活において、キリストとの出会いを通して各自の信仰体験を深め、自分らしく宣教の使命を果たすことが出来ますように、日々の生活の中でキリストと人々との出会いを大切にしてゆきましょう。

私が最近手にした本の中にこのようなことが書いてありました。
「イエスを知ることは、何も宗教的な状況の中にあるときだけではありません。これを学んで味わう解放感といったら!イエスは私たちと共にあって生きるために、この世においでになりました。私たちが働くときも、食事を作るときも、子どもたちの宿題の手助けをするときも、くつろいだりリクレイションをしたりするときさえ、私たちはイエスと共にいることができるのです。何をするにしても、私たちは、家具を作り、聖書をそらんじ、漁に出かけ、友人と冗談も交わされた、そのイエスと共にすることができるのです。

 あなたが人生のどこにあっても、神をお迎えするのは難しいことではありません。神はもうすでにそこにおられます!要は、あなたが日常の仕事に取り組むとき、神に心を向けることです。神を喜んでお迎えし、一日を過ごす内にも神と語りなさい。静かに神の助けを、導きを、その恵みさえも、願い求めなさい。
ほんの少し時間を取って、耳を澄ませなさい。何も聞こえなくても、心配しないで、神がそこにおられることを、ただ信じ、信頼しなさい。神はご自分の時に、あなたに聞く用意があると分かっておられるときに、語ってくださいます。神を知ること、神と共にあること、これより大事なことは何もありません。」(毎日の黙想)

 信仰のうちに神との出会い、人との出会いを大切に歩んでゆきましょう。祈りのうちに

  

 


イ ン ド の 旅

イエスはすべての人々のためにお生まれになった

高槻・茨木・千里ニュータウン教会共同宣教司牧チーム

アデリノ・アシェンソ神父

主のご降誕のお喜びを申し上げます。

先日、諸宗教対話シンポジウムに参加するためにインドへ行ってきました。日本を去ったのはフランシスコ・ザビエルの祝日に当たる123日でした。一週間の間、多くの方々と知り合って、諸文化・諸宗教者との出会いの体験に恵まれました。

インドの宗教は主にヒンドゥー教ですが、キリスト教の信徒は全人口の2,3%で、ローマカトリック信者は全人口の1,6%、すなわち1800万人だそうですが、カトリック信徒増加率は人口増加率よりも高いので、全国の166教区の教区長をはじめ、聖職者と信者には前途有望があるのではないかと思われます。

今回、訪れたのはムンバイとヴァサイだけでした。ムンバイはインド最大の都市であり、世界都市の一つであり、人口は1250万人であります。ヴァサイという町はムンバイの近くにあり、ヴァサイ教区の全人口は370万人であるということですが、興味深いことは日本二十六聖人の中の一人であるポルトガル人のフランシスコ会修道士ゴンザロ・ガルシアは当時のポルトガル植民地ヴァサイ出身だったということです。

ケーララ州やゴア州のカトリック信者は比較的に多いですが、殉教したゴンザロ・ガルシアの出身地ヴァサイ市にもキリスト教の強い影響は事実であることがわかります。テルトゥリアヌスは「殉教者の血は、キリスト者の種子である」と言いました。

私の初めてのゴア訪問を思い出しました。198412月でした。ゴアでのクリスマスイブ、主の降誕の深夜ミサに与って鶏が鳴く夜明けごろホテルに戻りました。フランシスコ・ザビエルのご遺体が、1554年から現在に至るまでゴアに眠っているのですが、10年ごとに遺体公開があり、1984年に当たりました(次回は2014年の予定だそうです)。

フランシスコ・ザビエル、ゴンザロ・ガルシア、ヴァサイ、ポルトガル、インド、日本、日本二十六聖人。ご縁が驚くほど広がっています。

熱い気温も、心の暑さも感じて、イエス・キリストがすべての人々の救いのためにお生まれになったことを、その当時も今回も強く実感することになりました。

  

 いのちのことばは、初めからあったもの

司牧チーム シスター深瀬聖子

 クリスマスはイエス様の誕生日。神が人として私たちのうちに住まわれた最初の日。幼稚園のクリスマス会で子どもたちにお話ししながら、馬小屋のイエス様を眺めていて、ふと気づかされたことがあります。

『受肉』の神秘を深い喜びのうちにしっかりと理解できるのはいつごろなのだろう?私はまだまだ「これで分かった!」という確信には至っていないように思う。神さまが、母の手を借りなければ生きていけない存在になられた。・・・神さまも周囲の助けや心配りを必要とされた時期を過ごされたのです。そしてこの地上で育てられる存在として過ごされたのです。

人は死ぬまで育てられる存在なのです。信仰もきっと同じことなのでしょう。自分で大きくなったような、自分で信仰を得たような気持ちでいることのほうが当たり前のように考えがちですが、実は逆なのでしょう。

わたしの人生も私の信仰も、多くの人々や、多くの祈りによって育てられているのです。父である神さまが、イエス・キリストの生き方を通して私を育ててくださる。インマヌエル・共にいてくださる神を実感させてくださるのです。これにわたしが応えられるのは、感謝しかないでしょう。育てられなければ歩いていけないこの人生に、神さまは共にいてくださると約束してくださったのです。

10月11日からスタートした『信仰年』、まさに育てられる一年でありたいと思います。現代の教会は、同じく神の民を育てています。インマヌエルとしてわたしたちとともにおられる神さまは絶えず呼びかける神さまです。絶えず招かれる神さまです。わたしたちがイエス・キリストの真理の言葉を、生活を通して輝かすことができるように、このクリスマスこそ、幼子イエスを拝みつつ、イエス・キリストのもとにとどまり、イエス・キリストとともに生きる決断をしようではありませんか。

育てられる存在として、じっくりニケア・コンスタンチノープル信条を深め、日々の生活を整え、信仰を生き方で宣言したいものです。

メリー クリスマス!!

からしだね

2012年  クリスマス   第69号  カトリック茨木教会発行誌

イエス・キリストの道

生きる道であるキリスト

クエンジ カンパタ ダニエル神父

 

茨木にある神の教会の皆様へ、わたしたちの父である神と主イエス・キリストの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
イエス・キリストはこう言われた「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」ヨハネ14:6。
道であるキリストを信じている者にキリストが示してくださった生きる道を歩み、生きることによって成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。
キリストが示してくださった道を歩みましょう。

A.  神への道・・・

イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」ヨハネ14:6

B.  真理の道・・・

そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」ヨハネ18:37

C. 命の道・・・

わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。ヨハネ10:10

D. 愛の道・・・ 

あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。ヨハネ13:34

E. 喜びの道 

これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。ヨハネ15:11

F. 平和の道

わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。ヨハネ14:27

G.  一つの道

父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えましたわたしたちが一つであるように彼らも一つになるためです。ヨハネ17:21−22

H.  祈りの道  

イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。
そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、/御名が崇められますように。御国が来ますように。』」ルカ11:1−2

I.   赦しの道・・・

わたしたちの負い目を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/赦しましたように。わたしたちを誘惑に遭わせず、/悪い者から救ってください。
もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。

しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。マタイ6:14−15

 J.  豊かさの道 

わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。

あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。ヨハネ15:1−2,8 

 K.  奉仕の道   

そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。
しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、 いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。
人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」マタイ20:25―28

L.  苦しみの道  

そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」ルカ24:25−26

M.  栄光の道

かの日、主が来られるとき、主は御自分の聖なる者たちの間であがめられ、また、すべて信じる者たちの間でほめたたえられるのです。それは、あなたがたがわたしたちのもたらした証しを信じたからです。1テサロニケ1:10