主はまことに復活された アレルヤ

                  礼拝会  荻原 敏子

 今までの長い修道生活の中で、この茨木の地に派遣されたのは今回が3度目。それなのに皆様

との深い交わりもできないまま、茨木の地でうろうろしている間に、まもなく一年目を迎えます

。せめて、この度、この誌上を通して皆様に復活祭の喜びを申し上げ、観念的な喜びではなく、

身体が震えるほどの歓喜につつまれた衝撃的な私の体験を分かち合いたいと「からしだね」への

投稿を引き受けました。

 数十年前のこと、私は南米のボリビア国の移住地(長崎・五島・生月などからの移住)に派遣

されました。そこでの生活のはじめの頃、ボリビアの言語であるスペイン語の学びのため、首都

ラパスに次いで二番目の大きな町、コチャバンバという町の修道院に移り、スペイン語の勉強を

始めました。衝撃的な体験をしたのは、その頃のことです。ボリビアは軍事政権の国ですが、国

民の70パーセントはカトリック信者といわれていました。

私がコチャバンバの修道院に移って間もなくの頃、首都ラパスの郊外の農道にうち捨てられた一

人の司祭の遺体が発見されたとのニュースが、当時の黒白のテレビに流れました。画面いっぱい

に映し出されたその姿は、どこかで見た「受難のキリスト」のご絵そのものの姿でした。イエズ

ス会の43歳のスペイン人の司祭で、彼は徹底的に貧しく苦しんでいる人々の側に寄り添い、権

力側の不正を糾弾していたことを知りました。この事件の後、不思議な沈黙と静けさが国中を覆

いました。周りの人々誰もがこの事件のことを語らず、異様な空気が流れていました。たどたど

しいスペイン語でたずねる私に、修道院の姉妹達までも唇に指を当てて、話を遮るのでした。誰

言うともなく軍事政権のなせる業ということが分かってきました。この事件に関わることは、自

分の身を危険にさらすことになる、そんな沈黙でした。

市民はこの事件後3日間ぐらいだったでしょうか、喪にふくすことで静かな沈黙の抵抗をしてい

ったのです。町中の商店街、オフィス、学校までが閉ざされ、人影もない静かな街並みに変身し

ていました。

カトリック国ですから、街の角々に立派な教会がありました。この事件の翌日、私も姉妹達と近

くの教会のミサにあずかったのです。教会は沈うつな表情の人々で溢れていました。そのミサは

この司祭の死者ミサだったのです。






  

主の復活 おめでとうございます

                                                                                                  司牧チーム

                               橋本 とも子

私たちの信仰生活において、神に心を開いて祈る時を持つことの大切さを、だれも否定しないで

しょう。けれども皆が大切にできるかどうかはわかりません。先日手にしていた本の中に心に残

ったメッセージがありました少し引用したいと思います。

「最高の祈りはミサです。世界中で、ありとあらゆる祭壇の上で、永遠の神の御子

イエスは、小さな種無しパンの形をとってご自身を私たちのために捧げられます。

天地万物を造られた主ご自身を私たちの手の中に置かれるのです。すべてを一つに

されるお方が、罪深い民に渡され、食べられるのです。

イエスはこれほど余すことなくご自身を私たちの手中に置かれました。私たちが信仰によってイ

エスを受け、喜んでイエスに変えられることだけを、イエスは望まれた

からです。保証などないことをイエスは知っておられます。これほどご自分を与え

尽くしても多くの人々の人生には届かないかもしれないことをイエスはご存知です。それでも、

イエスは私たちのもとに来られるのです。これほどの愛、へりくだりを

見ながら、感謝と愛に満ちてひれ伏さないことなど、私たちにできるでしょうか。」

私はこの読書によって、私たちのために御父にご自身を捧げられる主の祭壇に、感謝のうちに近

づくことの大切さを再確認させられました。

 祈りの時間に恵まれている私たちの生活において、毎日大切にしている個人的祈りがあります。


聖 霊 の 祈 り

 父と子との思いである聖霊よ、考えるべきことと、言うべきこと、言わずにおくべきこと、真に

願うべきことを私に教えてください。あなたのみ栄のために、人々の救いのために、私自身の聖化

のために、私がどうすべきかを示してください。                     ’

 

マリア アントニア パリス 朝の祈り(創立母)

父と子と聖霊、三位にして唯一の神よ、あなたを愛し、生涯あなたにお仕えできるために、あな

たを知り、自分自身をも知ることができますように、そして、すべての人が、あなたのお望みに

なられていることを知り、あなたのインスピレーションと、聖なるみ旨に逆らうことのないよう

に照らしてください。また、教皇様、すべての
司牧者たち、福音宣教者たち、神に奉献された人

々を照らし、主イエスキリストに
倣う者とならせてください。                     '

神よ、私たちがあなたの恵みと助けなしにはなにもできないということをご存知でいらっしゃい

ます。あなたの限りない全能をもって、私たちが、あなたのお望みを

すべて行うことができるように、手伝ってください。私たち、また、あなたに仕えるために捧げ

られたすべての人が、福音的清貧の精神を深く生きることができますように導いてください。 

 アーメン

  

 


フランシスコよ、私の教会を建て直しなさい

千里ニュータウン・茨木・高槻教会共同宣教司牧チーム

アデリノ・アシェンソ神父

イタリア、1206年。フランシスコがアッシジの郊外にあるサン・ダミアノの聖堂で祈っていたと

き、はりつけのキリスト像から「フランチェスコよ、行って私の教会を建て直しなさい」という声

を聞き、彼はサン・ダミアノ教会から始めて、方々の教会を修復することになりました。
800

間経って「歴史は繰り返す」と言えるのではないでしょうか。「教皇フランシスコよ、私の教会を

建て直しなさい」と。確かに、多数の問題に襲われている教会は建て直されるべきだと言う人が少

なくありません。カトリック教会が直面せざるを得ない課題は、教会内の問題以外に現代社会の


済格差の是正、また貧しい人や難民の権利、子供や女性の権利、正義と人権、即ち社会の再建に力

を尽くすこと。「信教の自由の保証と宗教間の対話。宗教を理由にした暴力の根絶。原発などのエ

ネルギー問題の解決と環境保護への努力。医療を受けられない人々への対応・保健活動。そして、

移住者への奉仕などです。」
(日本カトリック司教協議会会長大阪大司教レオ池長潤)

教会外の課題は識別しやすいかもしれませんが、教会内の問題が扱われにくいと思われます。「


地球の果てから」来られて、全世界のカトリック教会を導くために第
266代教皇に選出されたホル


ヘ・マリオ・ベルゴリオというお方はそれがお出来になるのではないかと期待しております。「フラ


ンシスコ」を名乗ることをはじめ、多数の「しるし」によって庶民派教皇であり、親しみやすく見


えます。

再度精神的に芽を出すためには、危機が必要であると示すことができます。「フランシスコよ、

私の教会を建て直しなさい」と。
「歴史は繰り返す」と言えます。教会における牧者的対応につい

ては、論議よりも心の暖かさ、友情が必要です。裁きよりも赦し合うことの方が効果的です。優し

さ、思いやり、謙虚さ、奉仕。それは新教皇がご自分の姿勢によって要求していることです。

「慈しみ深い神よ、自分の利益のために神を利用する誘惑、また自分が設立した物質的な神(富

、権力、虚栄心、高慢)を拝む誘惑に打ち勝つことができるように、力を与えてください。どんな

問題であっても、復活されたイエス・キリストが教会を見捨てられないことを実感させてください

。」と祈りたい。

ご復活祭おめでとうございます。

  

アレルヤ!主はまことによみがえられた!

司牧チーム シスター深瀬聖子

 復活祭の喜びとともに、ようやく春がスタートしました。皆さん、ご復活おめでとうござ

います。
私が育った小教区では、この日皆で栗林公園にお花見に行っていたのを思い出し

ました。

2013年の復活祭、毎年心新たにされる復活祭。いつもの、けれども新しい私のガリラヤ(生

活の場)で、復活されたイエスと出会える。この約束こそ信仰のベースでしょう。世界の中に、こ

の国に、身の回りで起こる出来事の中に復活なさった主がおられるのです。絶えず耳を澄ませ、ま

なざしを清くし、共にいてくださる主を知りたいと願います。

『カトリック教会のカテキズム』を引用すると・・復活は何よりも、キリストご自身が行い、かつ教

えられたすべてのことを確証するものです。キリスト
は復活を持って、ご自分の神的権威について

前から約束しておられた決定的な証明を与えられました。したがってその教えは、たとえ人間の理

解力をはるかに超えるものであっても、信じるに値するものであると確証されたことになります。

キリストの復活は、旧約聖書と、生存中のイエスご自身の約束の成就
です。・・

小さな群れである私たちは、『みことば』を知り、味わい、生きることによって、生活の中にキ

リストを証しできるのです。特に共にみことばに触れ、分かち合うことは、その第一歩かもしれま

せん。ミサに義務としてあずかる
のではなく、喜びと希望を持って積極的に参加したいものです。

みことばと
ご聖体で生活を聖化させていただきましょう!                  '

新しいペトロの後継者、フランシスコ教皇と共に、この信仰年を生きることは、まさに新しい時

代を歩む教会の姿をあらわしています。ひとり一人自分の信仰に確信を持ち、強め、現代という嵐

を進んでいきましょう。それは困難に満ちているかもしれません。苦しみという波に翻弄されるか

もしれません。                                    ’                                 

でもそんな時こそ主を揺り起こすチャンスです。嵐を沈め波を静かにさせるのは私ではありません

。共にいてくださる主がなさることです。                        ’

さあ、私のガリラヤで主とお会いしましょう。

からしだね

         2013年  復 活 祭   第70号  カトリック茨木教会発行誌

 

 

      主の祈り


クエンジカンパタダニエル神父

 

主イエスが弟子達に教えてくださった祈りを通して祈り方を学び、神を知り、神との関係を深めるように;

1.主の祈りを唱える。

2.マタイ6:5−13を読んで、主の祈りについて学びましょう。


 

 神への礼拝:「天におられる私たちの父よ、御名が崇められますように。」

私は神聖で、憐れみ深い父である神に対して、神を賞賛しながら時を過ごす。

1. 私は次の中に見える物によって、神が神聖で憐れみ深い方だと知っている。

 A.  歴史において                                C.  私との関係において

 B.  森羅万象において                         D.  イエス・キリストにおいて







 

 神への礼拝神の御代を待ち望む:「御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の

上にも」 私は私の人生、私の世界へ神が及ぼす影響を
喜んで迎えながら時を過ごす。

2. 私は次の分野において私の人生に対する神の御心を知りたいと思う。

 A.  家族の問題                                   C. 人生設計

 B.  政治問題                                       D.  倫理的問題



 

神への礼拝日毎の必要性:「わたしたちに必要な糧を今日与えて下さい」今日、必要な物をお与えくださるよ

うに頼むことに自信をもっている。

3. 「今日のためだけに」と祈ることは、どのように自分の請願を変えるだろうか?

 A.  何も変化しない                            D.  何回祈るか回数を変える

 B.  私の請願の質を変える                  E.  もっと具体的にさせる

 C.  私が求める物を変える







 

  神への礼拝関係による癒し:「わたしたちの負い目を赦してください。わたしたちも自分に負い目がある人

を赦しましたように。」祈る時には、神の赦しを求め、
赦しを体験する。私は、自分が傷つけられた関係、他人

を傷つけた関係を自覚して思い出し、赦しを請う。

4.  自分を傷つけた人達に対する典型的な方法は何ですか。

 A.  恨みをもつ/復讐を求める           C. 怒って爆発する

 B.  話をつける                                   D. 忘れる


霊的な戦いに対する強さ 


霊的な戦いに対する強さ
:「わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。」祈っている時に

私がもがいている問題あるいは危ない橋を渡っている

ことについて神が私に語りかけてくださるままにする。誘惑に対抗することができる能力を求めて、神に寄り頼

むことを表明する。                                        '


5. 誘惑に負けてしまうのは、つぎの目盛りのどのあたりですか。

悪魔が私をそそのかしてさせる  1  2  3  4  5  6  7  8  9  10    すべて承知の上で、誘惑にはまり込む