2018 聖母被昇天   86   カトリック茨木教会発行誌

『ルルド巡礼』

香山 剛 神父

 10年位前になるでしょうか、フランスの巡礼地ルルドを訪問する機会がありました。関西空港を午前11時(日本時間)に出発しシャルル・ドゴール空港に着いたのは午後3時頃(現地時間)でした。ルルドの町に近いポー行きの飛行機に乗り換えるため5時間も空港内で待機を余儀なくされ時間を持て余すことになりましたが、「今、フランスに来ているんだ!」という思いが重なった不思議な時間でした。

 午後8時に、パリ発ポー行きのジェット機が離陸するタイミングで機内の窓からパリの夜景を楽しみにしていたのですが、予想していた3千メートルぐらいの高さからではなく一気に1万メーターぐらいの高さに上昇したことからはるか遠くにそれほど明るくないパリの全体的な夜景が広がっていたことが思い出されます。ポーに着いてからバスで1時間くらいの距離を走るとルルドの町に着きました。ホテルに到着したのは午後11時過ぎの遅い時間でしたが、喜びの集合写真を撮っていたらホテル関係者からたしなめられ、気恥ずかしい思いをしたものです。シャワーを浴び眠りについたのは12時をはるかに過ぎていました。翌日は午前5時起床、6時にはミサの為巡礼地ルルドに向かう予定です。

 10月末の朝6時頃ルルドは真っ暗で巡礼地はライトアップされており澄みきった空気と静けさに包まれていました。グロット(洞窟)の上にはイマキュレ・コンセプシオン聖堂が建立されており、その地下にある聖ミカエル小聖堂でミサを献げたのでした。一司祭として巡礼地ルルドでミサを献げる恵みが与えられるとは予想すらできない出来事でさらなる感動を覚えたものです。ホテルで朝食をとるために戻る時、道沿いには様々な聖具を販売する店が軒を連ねていることも見て取れました。十字架の道行きの坂道からはアペニン山脈の美しい眺めが視界に入るのです。午後からは、ルルドの清い水で「祈りの水浴」もできました。季節外れで男性信者の数も少ないことから早く順番が来たのです。

 ルルド巡礼を終えた出発の朝は午前4時起床、5時にはバスでポー空港に向かう予定でした。ルルドを離れる前にもう一度洞窟、つまり聖母がベルナデッタにご出現なさった場所に行ってお祈りをしたいという望みを持って午前4時半ごろ出かけたところ正門が閉まっていたのです。何処かに脇道がないか必死に探したところ、それがありました。急いで坂道を下っていくと、こんな早い時間には誰もいないだろうと思っていたのですが、一人の中年の男性が跪いて祈っているのです。私も少し離れたところで、母マリアに巡礼の恵みを感謝して祈りました。洞窟の前にはポー川があり、ゆったりと流れる水の音が聞えるのです。巡礼地全体の景色を眺め、味わいながらその場を離れ宿舎のホテルに戻り、急いでバスに乗り込んだのでした。

 ”イエスは、母に、「婦人よ、ごらんなさい。あなたの子です。」と言われた。

それから弟子に言われた。「見なさい、あなたの母です。」“ ヨハネ、19,26-27


 

 

出向いていく聖母マリア

司牧チーム Sr.深瀬聖子

 

聖母被昇天の祭日おめでとうございます。

教皇フランシスコが、出向いていく教会をいろいろなところで強調して話しておられます。私は、聖母マリアこそ出向いていく姿を生きた方ではないかと思います。

天使ガブリエルからお告げを受けて、急いで山里に向かいエリザベトのもとへ出向くマリア。(ルカ1:39)ヨセフと共に住民登録のためにベツレヘムへと出向くマリア。(ルカ2:4~5)イエスを連れて主にささげるために神殿へと出向くマリア。(ルカ2:22)12歳のイエスを連れて過越祭の祭りのために都へ出向くマリア。(ルカ2:41)そのあとのイエスを捜して神殿へと引き返すマリア。(ルカ2:46)カナの婚宴へと出向くマリア。(ヨハネ2:1)ゴルゴタの十字架のもとに立つために出向くマリア。(ヨハネ19:25)イエスが天にあげられた後、弟子たちと共に祈るために出向くマリア。(使徒言行録1:14)

 マリアは、いつもじっと祈っているわけではなく、イエスの生涯の始まる前から、昇天の後まで、神のみ心を行うために出向いていく女性だったのではないでしょうか。そして、興味深いことに、マリアが出向いていく理由には神様の計画が見え隠れしていることです。

 私たちの生涯、私たちの存在には、神様の計画があるのです。神様は私のためにどのような計画をお持ちなのでしょうか?もしかすると私の望みや私の好みとはかなり違った計画かもしれません。神様の計画を優先しようとすればそれは、私の常識や私という思考回路を変えなければならないものかもしれません。私にとって神様の計画を行うことが最も幸せなことなのですけれど、そのために犠牲にするものも半端なものではないのかもしれません。マリアの出向く行動力から学べるものがたくさんあるように思います。

 神の望みを生ききって、天に上げられた聖母マリアの取次ぎによって、私たちも神の望みを見つめ、捜し、果たしていく、・・出向いていく信仰を願いたいものです。


  

  

             

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