宣教司牧チーム

                          橋本 とも子

 

 「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」  (ルカ21章33節)

 「御父は、私たちを闇の力から救い出し、その愛する御子の支配下に移してくださいました。わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。

御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。また、御子はその体である教会の頭です。御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子のうちに宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、ご自分と和解させられました。」

                         (コロサイ1章13〜20節)

  「すべてについて感謝しなさい。神はキリスト・イエスのうちにあって、あなたがたにこれを望んでおられる。」
                       
(汽謄汽蹈縫5章18節)

 「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。」 

                       
(ヨハネ10章10節) 

 「わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、ご自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。

                           (エフェソ1章3〜6節)

  

 



感銘を受けた聖書の言葉をめぐって

千里ニュータウン・茨木・高槻教会共同宣教司牧チーム

アデリノ・アシェンソ神父

主のご降誕のお喜びを申し上げます。

まことに、わたしの家は、すべての民にとって祈りの家と呼ばれる。

(イザヤ書567節)

私が司祭に叙階される恵みをいただいたのは今から16年前のことですが、叙階記念のカードに上記の聖書の言葉を記しました。「わたしの家は、すべての民にとって祈りの家と呼ばれる」という言葉を通して、私たち一人ひとりが神様に話しかけられ、一人ひとりが神と隣人との出会いの場であるように呼び掛けられています。私たちの人生、私たちの家族、私たちの職場、私たちの教会、私たちの共同体、私たちの心は神と隣人との出会いの場となっているのでしょうか。

主は憐れみに満ち、恵み深く、怒るに遅く、慈しみに溢れておられる

(詩編1038

主は、罰を与える神でなく、憐れみ深い神様であることを忘れてはいけません。また、本当のキリスト者になり、本当の共同体を築いて行くということは、相手の苦しみ、相手の悩み、相手の喜びを自分のものにすることから始まるのではないかと考えられます。喜ぶ者とともに喜び、泣く者とともに泣く(ローマ1215節)。憐れみ深い神を証するには、日常生活の中でイエス・キリストを迎え入れることは不可欠です。イエス・キリストを迎え入れるには、まずは私たちの利己主義から解放され、心を空にするのは大切です。

ご降誕された幼子イエスによって、一人ひとりの人生が照らされますように。

    

司牧チーム シスター深瀬聖子

 

ルカ2:10〜12・16〜17
『み使いは言った、「恐れることはない。わたしは、民全体に及ぶ、大きな喜びの訪れを、あなた方に告げる。今日、ダビデの町に、あなた方のために、救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである。あなた方は、 産着にくるまれて、飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見出すであろう。これが徴である」。

 そして、彼らは急いで行き、マリアとヨセフ、そして飼い葉桶に寝ている 乳飲み子を捜しあてた。それを見た羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを、人々に知らせた。』

 先日、聖母被昇天学院の保護者とクリスマスの場面であるルカの2章を 読んでいて、このみことばが心に深くしみました。  

 天使たちのことばを聞いた羊飼いたちの、恐ろしくスピーディーな行動です。そしてこの行動を起こさせるだけの理由はたった一つ。救い主がお生まれになったということです。しかも天使たちは、羊飼いにとってわかりやすいというか、近づきやすい救い主の徴まで教えてくれたのです。『飼い葉桶に寝ている乳飲み子』・・

 羊飼いたちが捜しあてることのできる姿で救い主はお生まれになったのです。

『飼い葉桶に寝ている乳飲み子』・・

 実際、捜しあてた彼らは、すぐに人々に知らせに行きます。

明日にしよう・・とか、生まれてくださってよかったなあ・・とか、夜も遅いから・・とかではなく、一時も早く知らせに行くのです。救い主キリストの誕生について一番最初に人々に告げ知らせたのは羊飼いたちです。宣教というのはこのように、とどまらずに知らせることなのだと気付かされました。見ること、聴くこと、そして述べ伝えること。  

 自分の生活の中に、見る・聴く・伝える、の三拍子を入れなければ。福音という光の眼鏡を通して日常を暮らし、今まさに、生まれてくださったキリスト、飼い葉桶に寝ている乳飲み子を捜しあてたいと心から願います。


 2013年クリスマス!おめでとうございます!!

 

からしだね

 

2013年 クリスマス  72号  カトリック茨木教会発行誌

 


    キリストに結ばれた生活

 

クエンジ・カンパタ・ダニエル神父

 

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。

人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、

その人は豊かに実を結ぶ。ヨハネ15:5

 

茨木市にある神の教会の皆様へ、わたしたちの父である神と主イエス・キリストの恵みと平和が、あなたがたにあるように。イエス・キリストを個人的に自らの救い主として信じ受け入れることは、人生最大の決断です。信仰によりイエス・キリストを受け入れると、全く新しい人生が始まります。肉体的な成長に空気、食べ物、休息、運動が必要であるように、霊的成長にも必要不可欠なことがらがあります。

豊かな信仰生活を過ごすために大事なことは:

キリストにつながった生活

1.「言葉にとどまる」(ヨハネ15:7)、

「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。」

2.「愛にとどまる」(ヨハネ15:10)

わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。

3.「キリストの教えにとどまる」2ヨハネ9

だれであろうとキリストの教えを越えてこれにとどまらない者は神に結ばれていません。その教えにとどまっている人にこそ御父も御子もおられます。

 

4.「神の掟を守る」 1ヨハネ3:24

神の掟を守る人は、神の内にいつもとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。神がわたしたちの内にとどまってくださることは、

神が与えてくださった“霊”によって分かります。

5.「イエスの道を歩む」1ヨハネ2:6

神の内にいつもいると言う人は、イエスが歩まれたように自らも歩まなければなりません。

 

B.キリストにつながった生活によって

1.「新しくされる」2コリント5:17」

キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。

古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。

2.「罪に定められることなく」ローマ8:1

キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることは

ありません。

3.「永遠の命を与える」ヨハネ10:28

わたしは彼らに永遠の命を与える

4.「豊かな実を結ぶ」ガラテヤ5:22−23

霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、 柔和、節制です。

5.「救いの確信を持つ」1ヨハネ2:28

さて、子たちよ、御子の内にいつもとどまりなさい。そうすれば、御子の現れるとき、確信を持つことができ、御子が来られるとき、御前で恥じ入るようなことがありません。

6.「イエスを知る」エフェソ3:17−19

信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。